幸せな自分を生きる方法
「幸せな自分を生きるとは」
「幸せだなあ・・・。」と思う瞬間がありますよね。例えば明日が休みで、ゆっくり寝られると思って布団に入った瞬間。例えば、愛する彼がデート中に笑顔で「一緒にいるだけで幸せ」と手をつないできたとき。
でも、いつもいつも幸せでいられるかというと、きっと多くの人はそうではないと思います。私は以前、「当り前じゃないの。人生苦しいことが多いからこそ、それを乗り越えた先に幸せがあるのよ。」「幸せにしてもらえる相手に巡り合えてこそ本当の幸せが手に入るのよ。そして子どもが授かったら自分の子どもを幸せにすることが自分の幸せで生きる意味だと思うわ。」というような話を信じていました。
だから、自分の幸せは、外からの何かによって始まり、それを守っていくことが大事で、そのための努力や我慢を惜しまない人が幸せになると思っていました。
幸せを感じると次に不安が来る
私が幸せを感じた瞬間は、もう57年も生きていると数えきれないほどありますが、不安や恐怖や無価値感を感じたことはそれの何十倍もありました。
例えば、仕事のことでいうと、30年以上学校の教員をしていました。もともと学校の勉強は得意ではありませんでした。中学校の頃、一生懸命勉強した気分で試験を受けても、全く思うような成績はとれませんでした。でも、先生になりたいと思っていました。ですから、採用試験に合格したときは、ものすごくうれしかったし、幸せを感じました。
でも、勤めてみると、周りは勉強ができる人ばかり。当然不安で苦しいことだらけの毎日です。最初の4年間くらいは、365日のうち、幸せを感じるのはきっと80日くらいだった気がします。授業がうまくいった時、生徒と気持ちが通じた時、休日に友達と遊びに行った時など。でも次の瞬間には、明日はまたうまくいかないかもしれない。問題が起きて自分の力で解決できずに周りにまた迷惑をかけてしまう。そんなことばかりが頭に浮かんでいました。
さすがに、10年も経った頃には、プロの自覚を持って仕事をするようになり、幸せを味わう余裕も出てきましたが、やはり、どんなに仕事がうまくいっても、幸せや喜びとともに必ず不安と無価値感がありました。
自分像の限界
私の30数年間は、職場でも、家庭でもいつのまにか、「自分はこうあるべき。」という自分で作った自分像にいつもどこかで追い詰められていたような気がします。でも、「幸せとは自分で作った自分像に近づいていけること。」
とも思っていたので、教育熱心な熱い教師でよき母親という自分が保たれている時が一番幸せで、それがどこかでうまくいかないときは自分の無力感と無価値感に苦しんでいました。(良き妻には到底なれないので、それからはいつも逃げていました。)
50歳を前にして、自分像に限界を迎えました。でも、一度作り始めた自分像を変えるということは仕事も環境も変えてしまうしかない。
「今の仕事をやめよう。」とその時に本気で思い始めました。
本来の自由な自分に
60歳まで自分が作った自分像に苦しめられていたら、そのあとの時間を過ごすパワーも夢もなくなるかもしれない。私は自分がいつから何を始めたいのかを考えました。あと数年で55歳。そこから再スタートを切ろう。高校生の頃の夢だった画家になろう。どうしたら、画家で生計を立てることができるのかはわからないけど、とにかく始めよう。
55歳で退職したとき、まだ具体的なことはなにも決まっていませんでした。でも毎日友達の部屋を借りて絵を描いていたら、だんだん自分が今まで、自分のことを何も自分で決めていなかったことに気づきました。自信がなくて、無価値感に苛まれるのは自分の幸せを周りの評価によってしか感じられていなかったからだと気づきました。
認められたら、自信が持ててうれしい。
好意を持たれたり、相手から必要とされれば、自分は好かれるに値する人間だと喜ぶ。
だから、その逆のことが起こると、途端に自信がなくなり、時には相手から自分はこんな思いをさせられると悲しむことになるのです。
自分はまず、自分が認めて、信頼してあげないと、自分の絵なんか描けない。本来の自分は、だれが認めなくても自分が自分の力を信じていればできないことはないはず。自分軸を持って自分の力で進もう。
そこに行き当たるまで、約1年かけて、電話占い師に相談したり、ユーチューブや本を読み漁ったりしながら、
自分と向き合う時間を重ねました。
今、やっと本来の自分で自分の気持ちに従って自由に生きていくことが幸せを感じられる生き方だというところにたどり着きました。
自分軸で生きる幸せ
自分の絵を見た人が幸せな気分になったり、気持ちが軽くなったりするような作品を作って発表していきたい。
今は、それに向かって活動できることが、幸せを感じることです。
うまくいかなかったら・・・。と思う瞬間があっても、もうそれに浸ることはなくなってきました。例えば、展覧会に出品して、賞が取れないとき、やっぱり残念な気分になりますが、「賞とるために作品を描いているのではない」という思いが私を先に向かわせます。それは楽しい気分です。
先日、車の運転中に、突然20年前のジブリ映画の「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」※作詞 覚 和歌子 が聞きたくなりました。
ものすごく久しぶりに聞くと、最後の歌詞に、共感して感動してしまいました。
それは、「はじまりの朝の静かな窓 ゼロになるからだ 充たされてゆけ 海のかなたには もう探さない 輝くものは いつもここに 私の中に見つけられたから」です。
こんな歌詞だったのかというのと、これはまさに今の自分の感覚と同じだと、この曲を今聞きたくなった自分に驚いてうれしくなりました。
今、自分の幸せは自分の内側から感じられるもので、それは、自分の心の持ち方次第でいつでも感じられるものだと確信しています。
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