自然の中に宇宙を描く
自然を描く
最近、風景の中の光や風の存在が、とても気になる。光や風、そこに発生する音やにおいの存在が「自然現象」という言葉では片づけられない、まるでそこに「命」が入っている気がする。
自然を描くのが、現在の自分のテーマだ。描きたい場所に出会えた時、すぐに描き始めるタイミングの時と、しばらく時間が経ってから描く時とでは、気持ちは変化する。すぐに取り掛かっても、途中で時間があくこともある。「描きたい場所」になぜ惹かれたのか、何に惹かれたのかを自分の中で成熟させる時間ができる。
ハッとして感動して描いてしまい完成させる絵も、自分の中でじっくり練りながら時に時間を置いて想いを入れていく絵も楽しい。
宇宙と繋がっていると感じる時
今回の絵は2024年の11月の終わりに描き始めて、しばらく描いていない時間があり、2025年を迎えた、年を跨いでいる作品だ。
宇佐の「大元山」で出会った樹を描いている。
素晴らしい大樹で、上半分は、落雷を受けて折れ落ち、その場で横たわっていた。周囲には、光がキラキラと遊んでいるような葉をまとった木々豊かな森がある。神様が宿るこの山は大昔から大事に守られてきており、今も、人が必要以上に手を加えていないありのままの状態を大切に保っている感じがした。
ものすごく神様がたくさんいるような、だけど静かで、木々の隙間から差し込む光が優しい場所。そこにどっしりと根を張っている大樹なのだ。
光は喜びで舞っている。風は時折、葉をくすぐりながらやさしく森を廻っている。音は、遠くから近くから聞こえる鳥の声と葉や枝のさざめきのハーモニー。
その中にすっと入っていく感じでキャンバスの前に座り、色を出す。
しばらく描いて、離れてみる。どんな色をどこに置いたら大本山で感じたあの世界が出せるだろう。繰り返し色を重ねていく。絵を描くという行為は、魂と向き合ってそれを形にすることだ。雑念が入ると絵は迷走する。
また、気持ちを整えてキャンバスに向かう。そして描きながら毎回必ず思うことがある。『自分の感じた世界は、宇宙に繋がっている。風景は宇宙そのものだ。その宇宙ってどんな色でどんな形なんだろう。』心惹かれる風景はもしかすると、いつも宇宙に繋がっていると思える場所なのかもしれない。
自分の絵は完成というものもない。なんとなく、これでいい、ここでいいな、と思う時が、作品になる時だ。
ずっと壁にかけて飾っていると、いつも違う顔を見せてくれる。
なぜ宇宙を感じるのか
なぜ宇宙と繋がっていると思うのか。
それは、昔から感じていたことかもしれないし、ここ数年間で思いを寄せていることなのかもしれない。
幼いころ繰り返し見た夢
幼いころの夢(寝て見る方の)を鮮明に覚えているという事は、きっとみんなにあることだと思う。今、夢というのは、確かにどこかに存在するパラレルワールドを体験しているものだという説があるけれど、私が繰り返し見た夢は空を飛ぶ夢だった。夢の中で、この世界では私はいつものように空を飛ぶことができるという自信があった。一歩足を踏み出して地面を蹴ると、体はふわっと浮いてくる。大抵その時は「人さらい」と思われるおじさんに追いかけられたり、その気配を察して、ここにいてはまずい、と思った時だ。
飛び方は、1、2メートルくらいの高さから、電線を飛び越える高さまでさまざまで、電線をくぐって、自分の町の家の屋根まで見下ろしているときは「成功している」ととても気持ちよく満足だった。あまり高く飛びすぎると、不安になり高度を下げる。当時、(幼稚園時代から小学校3,4年生の頃まで)夢の中では「毎度のことで当たり前」だと思っていた世界だった。
中二病の宇宙観
中学生の頃は、アニメオタクだった。でもそんな言葉はその当時はない。初めてアニメージュが発行されて、本屋に置かれた時の感動と、こづかいをはたいてそれが買えた時の感動は、忘れない。店のおじさんが自分のために用意してくれたのかと思ったそれには、「宇宙戦艦ヤマト」が特集されていた。
私が魅力を感じたのは、宇宙だった。ワープを重ねてマゼラン星雲のイスカンダル星とガミラス星の双子星に行きつく。その装置や特別なエネルギー。数学と理科にはひどく苦手意識を持っているのに、そういう話は「きっとあるだろう」と思うのだ。宇宙には限りない空間と、自分たちの理解を超えた世界がある。そこにいくには(それと繋がるには)強い思い=祈りだろう。と当時の自分は本気で思った。
ヤマトと銀河鉄道999のポスターを貼り、本気で祈っていた。
当時の担任から、10数年後に会った時に「何を考えているのかわからない生徒だった。」と笑って言われたのがなんだか誇らしくてうれしかった。
2020年の冬至に感じたこと
2020年に初めて「冬至」には不思議なパワーがあるという情報を知り、古代の人たちの特に統治者が、冬至を大切にしていたという歴史の一部分を知った。エジプトの神殿の、ファラオしか入れなかった祈りの場所に冬至の朝日の光だけがぴったりと通る隙間を設計していることや、マヤのククルカンの影の不思議など。
その時は、アメリカのサイエンス番組を見て、その現象を知り、ユーチューブのスピリチュアルの動画で冬至点がなんだかパワーがあるという話を聞いてとても心を動かされた。
2020年の冬至。その日は、仕事帰りの夕方、山のほうに上がり、駐車場から少し林に入って木々を眺め、冬至という日の特別な空気感を味わい、作品に描いた。目には見えない自然のエネルギーがそこら中に満ちていて、地中までも浸透して透けて見えるようなイメージを持ち、それから、自分の作品のメインテーマ『繋がる』が明確になってきたと思う。
それからずっと、繋がる世界について思い続けている。地球と繋がり、宇宙と繋がっている命に満ちている風景。自分の中にある宇宙、この樹の中にある宇宙、目の前に広がって見える空間・・・。何なのだろう。確かにあるのだ。どう表現したらいいだろう。
自分が周りの誰かにできること
自分が絵を描くことは、周りの誰かの心を動かすことだと思っている。自分の絵描きの活動は、誰かの生きる力に繋がること。
例えば、本を書いて出版するという事は、文章を書いているその内容が、多くの誰かのためになることだと思った出版社が作者に依頼して実現する。その内容は千差万別で、無限にあるかのように出版されているけれど、そのどれかに行き着いた読者がその本によって人生の気づきを得られたり、気持ちが救われたりする。作者が自分の魂と向き合い文章を書き、出版社がその内容を本にすることで、一人でも多くの誰かが幸せな気持ちや、生きる気力を持てることを願ってその本が作られたとしたら、きっと多くの人が救われる気持ちになることだろう。もちろん、そうではない、『みんな、今こんなことに価値があるよー、流行ってるよ、それに乗らないと損をするよ。』と大衆心理をコントロールすることに使われている方がまだ多いのかもしれないが。その中にあっても、本当に魂に響くものは必要な人に伝わって残っていくだろう。
snsを使うと、誰でもすぐに全世界に発信できる便利さがある。見る側もどこにいてもすぐに内容を選んで、見ることができる。でも、大量にどんどん流れる情報の中で自分がこれだと思う内容に行き着くのはほぼ偶然と思えるし、その情報もコントロールされて偏っている場合が多い。ちょうどいいぴったり来る内容に巡り合えてラッキーなこともあるが、それも、ただ見ているだけではすぐに記憶から抜け落ちて残りにくい。そこで思ったことをメモすると幾分か残っていくが、自分が実際に手に取って繰り返して読んでみた情報、実際にその場に行って体感したことのエネルギーにはかなわないと思う。
自分は、自分の作品を描き続けてリアルな場で発表することで、誰かの救いになったり、気づきになると思って活動している。そしてその活動を今年も続けていく。続けられる「自信」があるかと言われれば、ある。自分を信じているから。
宇宙のすべてのものは素粒子でできており、それは人の思考で形を変える「二重スリット実験」を始めとする、様々な素粒子の解明により自分自身を含んだ周りすべては素粒子でできていることは、もう現実だ。
「思考で現実は作られている。」戦後のバブル期に学生時代を送り、平成の失われた30年に働いて子育てをしてきた、何も情報を知らなかった自分が、今、やっとたどり着いた世界だ。
今、生きている人たちに伝えたいことは、自分の中にある無限の力(それぞれ異なる考えや方法)は必ずみんなが持っているから、それを自分と周りの人たちの喜びのために使い続ければ、自分も周りの人も幸せになるという仕組み。
それを私は自分が描く絵で伝えたい。そう思って今日もキャンバスに向かい自然の中に宇宙を描く。
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