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「自分の天命だ」と思う時

天命を生きる

 私は、自分の天命を生きていると、毎日思っている。だけど、誰かが「あなたの天命はこれですよ。」と教えてくれたわけではない。本当にそうなのか?と思うこともある。でも、これだと思って進んでいる。

 

「私の天命は絵を描くことで誰かの役に立つことなんですよ。」と言っている。

 

天命って何だ?

 天命とは、自分が生まれてきた目的や役割、天から与えられた使命のこと。

 

それを見つけるには①自分のやりたいこと好きなことは何か

         ②それは、時間を忘れてやっていることか

         ③それをすることで、社会や世界に役立つ(求められる)か

         ④それをしている自分が置かれている環境に素直に感謝できているか

 

 これが自分の天命だ。と思い始めて1年が過ぎた。そもそも、「天命を生きる」という事を意識し始めたのが1年前だから。それまでは、2020年半ばから、「画家になります。」「私は画家で生きていきます。」と発してみたものの、それで生活できるわけでもなく、最初は特にジェットコースターのように上下する感覚で、迷いながら、誰かに答えを求めながら、自分と向き合ってきた。

 

 自分が存在する意味

 自分が存在する意味は、思春期の頃から常に考えていた。就職して子どもが生まれた後は、自分の子どもが就職し、独立して家を出ていくまで、自分が存在する意味は、「自分の子どもをこの世に産み育て支えること」と思っていた。

 もちろん、他にも存在する意味に該当しそうなものはいくつかあった。でもそれは、自分じゃなくても誰でも代わりができることだと思った。

 だからこそ、2020年、自分の身の回りがものすごく一気に変化したことで、ずっと考えていた「自分が存在する意味」「自分は、何者なのか」を宣言して生きていこうと思った。そしてそれは、自分の内側にしか答えがないものだった。

 

 今まで、外の変化にしか目を向けていなかったものが、内側の世界を探求するようになると、人間関係も変わってきた。2024年に「宇宙のすべては、素粒子からできている」ということがなんとなく腑に落ちてくると、私が今まで作品のテーマにしてきた「繋がる」が、もうそのままの世界だったと気づいた。

 自分が存在する意味も、宇宙にとって、今ここにいるものすべてが、意味があって存在しているという真実に行き着いて納得した。素粒子でできているといってもピンとこないかもしれないけれど、机も、地面も、私たちの体もすべては素粒子でできていて、しかもその一つ一つは観察者の意思で形作られる。(二重スリット実験)。観察者がいなければ何の形も持たず、観察者が現れた瞬間形作る。しかも、思考も素粒子でできているので、「考える」「祈る」というのも素粒子で、思ったことが離れている場所にも影響を及ぼすということなのだ。しかも時空を超えるので、時間も影響しない。

 

 それは、自分が今ここに存在しているだけで、大きな意味があるという事に繋がる。

 じゃあ、自分が今、ここに生きているという事に、意味があるならば、どんな意味があるのか。

 その意味というものが、天命に従って生きるということなのではないか。

 自分が天命を生きれば、自分にとって「やりたい」と思うことは、全宇宙がその人に託したもので、天命という椅子はすべての人に準備されている。それを自らの意思で続けることによって、誰かの「ありがとう」になり、仕事になる。そして生きていく糧になる。

 それぞれお互いが、自分の能力を発揮することでお互いの生活が成り立っていけるようになる。

 

 ただ、自分だけが勝とう、自分が周りよりも豊かになろう。他の人より自分が選ばれないと価値がない。負けた自分も負けたものも全否定。という勝ち負けの二元性に縛られていなければ。その生き方をしていると、天命を生きるフェイズにはきっと入れない。周りに感謝もできない。

 とてつもなく長い間、その二元論の中で生きてきたので、「みんな違ってみんないい」のまま大人にはなれませんよ。と思ってきた。きっと世の中のほとんどの人たちがそう思ってきただろう。でも、それでは常に不安を抱えながら生きることになり、誰も幸せになれない。

 幸せになるというのは、自分の外の誰かが、何かがそうさせてくれるのではなく、自分の中にあることに気づくことだから。そして、それは自分の力ではなく、自分の中の宇宙と繋がって応援してくれている存在との共同作業によるものだから。

 

天命を生きていると思う時

 

①自分の絵を見て喜んでくれて、「自分の苦しい気持ちが楽になる感じがする」「この絵を飾ると運が付いてくる気がする」「この絵を買いたい」と気に入ってくれた時、さらに真剣に購入を考えてくれている時と、それを家に飾った後の感想を伝えてくれた時。

 

②周りにいる人が、自分の絵描きの仕事をとても応援してくれて、「この絵はとてもいいね。多くの人に見てもらいたい」「すごく上手くいきそうね」と心から言ってくれる時。

 

③絵画教室に通ってくれている人から、「ここで絵を習い始めて生活が変わった。」「教室に通うのが楽しみです。」と言われた時。

 

①②③は、自分がしていることを認めて受け入れてくれており、「自分は自分が持っている能力を活かすことで、人の役に立てていると実感が持てる瞬間だ。ずっと生きてきた「現実世界」と思っている状態の中で確認できる現象だ。

 

 しかし、それはいつもではない。長い時間の中では瞬間の出来事だ。そんなことも見失うくらい上手くいかないことや不安になることは日常にたくさんある。

「これが自分の天命だ。」と365日24時間思い続けて疑わないというのは難しいように思える。日々の一瞬の揺らぎや、落ち込みがその都度、自分の道を見えなくさせている。

 

 でも、その時に見えないだけで、自分の天命の道はちゃんとそこにあり、自分はその道に立っているのだ。

 その証拠に、また気持ちが前に向くと、自分のやりたいことや夢は明確にそこにある。そして、上手くいかないと思うことや不安になることすらも、この道で合っているのだから、お試しが来てくれていて、それを乗り越えるともっと嬉しいことが待っていると思えるのだ。

 そう考えると、自分は、今、天命を生きていると言える。これが、「自分の中にある現実世界」つまり「外にあると思っている現実世界」を実際に作り上げている自分の「思い」「意思」という素粒子だ。この繰り返しをしながら、「やっぱり自分は天命に生きている幸せな存在だ。」と感謝をすることになる。

 

 

自分の天命はどうしたら見つかるのか

 何が起こったら、何に目を向けたら、どんなきっかけで天命は見つかるのだろうか。

 天命を教えてくれる「先生」のような人がいる。天命を教えてくれるというタイムウェイパーもある。

 何らかの方法でその人の天命が解るらしい。そんな場所に行くチャンスがあるなら、聞いてみてもいいと思う。しかし、そのように人に聞かなくても自分の天命に行き着くことはできる。そして、それは結局自分で腑に落とさないと行動はできない。

 

 今、自分がしていることが天命かもしれない

 

 例えば、日々当たり前に仕事をして給料を稼いでいるけれど、何か空しい。自分がしたいことは他にあるのではないかと考える。または、今の仕事は自分に合っていないのではないか、辛い、苦しい。と思いながら一日が終わる。という事は多くの人にあると思う。

 そんな自分を騙し、励まし、日々が過ぎていき、時には自分を褒め、周りから称賛され助けられて、なんとかやっていく。もしかすると、そんな日常の中で、「そうか、今していることが自分の天命なんだ。」と思い立ち、感覚が変わることはあるかもしれない。その時は、内側から湧き上がる感動や、感謝が自分を満たしているのかもしれない。そうしたら、その仕事は、自分の喜びであり、人に喜んでもらえる自分の能力なのだろう。

 

人生を変えるタイミングは自分の計画から

 

 でも、疲弊している自分が、「これではない。前からやりたいと思っていたことをやるんだ。」と思ったら、ただの趣味だとか、上手くいくはずがないだとか、時間がないだとか、理由をつけて逃げ出さずに、一歩踏み出してみてはどうだろうか。リスクだけを考えていても現状は変わらない。まず、頭の中で「やりたいことを始める計画」を立ててみて、実際に動き始める時期も決める。実行するかどうかはその時期が近づいてきた時の自分が判断するだろう。

 今やっている仕事をやめて、やりたかった仕事を始めてみる。仕事ではなく、趣味のようなものであれば、それができる働き方に変えてみる。大きなチャレンジに、まわりは理解してくれるのだろうか・・・。そう思っている間は動けない。自分が動けば、周囲はそれなりに、なるようになっていくものだ。

 

お先真っ暗な時に、行動して見えてくるもの

 「どうしてこんなことになってしまったのだろう」と嘆きたくなることが起こる時、または、そのような方向にいつの間にか導かれた時、どこで道を間違えたのかと悩み悲しい思いになる。先が見えない真っ暗な気持ちになるかもしれない。

 でも、起こることはすべて自分の魂の計画通りなのだ。それは吉兆の兆し。それは自分の天命への気づきのタイミング。しばらく悩んで嘆いていたかったらそうすればいいと思う。(私も5年以上前まではそうだったから。何年も嘆いたり、悩んだりしていたから)でも、そのうち新しく動きたくなる。以前の自分には無理に戻る必要もない。

 何かしたくなる自分の思いに従って行動していけばいい。動いていけば、誰かに会って、今まで考えもしなかった事柄が気になったり、今までこだわっていたことが気にならなくなったりと、自分の中に変化が表れてくる。

 時々、迷う。時々悩む。けれど、それさえも「最高の自分に向かうための、自分の魂の計画通り」なのだろうと思えるようになってくると、今やりたいことが天命なのではないかと気づく。違うかもしれない。でも、もう少し続けてみよう。そうやっていくことで段々「自分が本当に望む未来」が見えて、「今が、豊かで幸せだと思えてくる。感謝が出てくる。」天命に沿った生き方になってくる。

 

「すべては上手くいっている」と様々な方が言っている。私は、その中でも「ひすいこたろうさん」の言葉が一番腑に落ちる。多分20年くらい前にひすいさんの、名言セラピーの本を買って、当時それがしばらくお氣に入りだったからかもしれない。

その、「すべては上手くいっている」という言葉を聞いたり、見たり、自分で言ったりすることが、私にとっては、「その通り」だと思えて、感謝ができる状態になる。

 

 

 

 自分を形作っているすべての存在に感謝して、丁寧に毎日を生きようと思う。忘れずに。忘れてもまた思い出して。

                                

                      2025年1月25日

 

 

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