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なぜ絵を描くのか

なぜ絵を描くのか

 自分の生活の中に絵を描く時間を取り入れたいと思っている人は、きっと多いのではないかと思う。絵を描くことは、自分に向き合える時間になり瞑想にも近い。

 実際に絵を描くことが生活の一部、もしくは絵を描くことが自分の生活そのものと思っている人が自分の周りにはとても多い。(自分が絵かきだから当たり前ではあるが)

 でも、「絵を描きたいけど、描けない。」「自分には才能がない。描こうと思っても苦手意識があって・・」と思って、見るのは好きだから。と、描くことから自分を遠ざけている人のほうが、とても多いと感じる。

 絵を描いてみたいと思う人と、実際に描いている人、絵を見ることが好きな人に読んでいただきたいと思いまs。

 

自分と向き合う時間

 人生の中で、自分と向き合う時間がある。生まれてきて「自分」が他の誰とも違う一人の人間だと認識し始めて、それがどういうことなのか、なぜ自分はここに生まれてきたのかなどを考えるようになった頃から、自分の内面も外面も気になってくる。その時期は個人差があると思うけれど、私は小学校3、4年生の頃には考えていたと思う。

 絵が大好きというわけでもなかったけれど、他の勉強よりも好きだった。4年生の図工の時間、宇宙が描きたくなって、自分の中の宇宙はどんな星があるのか、考えながら描いた。でも随分色が濁った絵になってしまった。ガッカリしたけれど、それは外側の目を気にしたから。その時の自分を今思うと、自分の宇宙と向き合って表現したかったのだなあ。この頃から「一人一宇宙」ということを潜在意識で感じていたのかもしれないと思うと、その頃の自分がいとおしい。

 絵を描くという行為は、自分の内面(潜在意識)に繋がっているのだと思う。顕在意識で生きる日常の自分の中に隠された大きな宇宙である潜在意識。

 それと繋がりたくて、多くの人は瞑想をする。瞑想と同じ状態が「無我夢中」。それは、何かをするときの一瞬の時間かもしれないけれど、瞑想状態と同じ状態だと言える。

 「絵を描く」以外にも、長距離を走る、料理をする・・・いろいろありそうだけれど、「絵を描いている途中」の感覚は、多くの人たちが「自分と向き合っている(内面と繋がっている)」と感じやすいのではないだろうか。

 

 

自分のために描く

 描くことに入り込んで「無」になる感じは楽しい。自分の魂がキャンバスに乗っている感じなのかもしれない。「こんな世界を描きたい」と思いついたときに描き始める。それが形になっている過程の中で「無」の時が始まる。それは長い時間ではないけれどとても貴重な幸せな時間だ。それを味わうために作品を描いているのかもしれない。

 例えば、描き始めた絵が、なんだかピンとこないと思う時がある。最初に思っていたことが次の日には、何か違うと思う。そういう時は時間を置く。全く違うことをしている時、例えば次の日の朝、運転をしている時に、こんな風に描いたらどうだろう。と思えてくる。それを描いてみる。そうしていると「ゾーン」に入って「無」になれる。それが作品の魅力になり、見る人に伝わるのだと思う。

 

描けないとき

 どんなに、「これこそが天命だ。」と思っていても、「この時までに、こうしたい。」という思いがあっても、描けない時がある。時間は作ろうと思えば作れるような気がする。「こんなものを描いてみたい。」という思いもある。でも描けないことがある。

 体が思うように動かない。なんだかだるい時。

 ここで描こうと思っているのに、なんだか絵の前に座れない。

「自分は何をしているのか。」と責める気にもなれない。ここで責めても始まらないので。

 そういう時は、描かない方がいい。

 「そういうこともあるよ」と自分に言ってあげる。他の仕事(セカンドワーク)や人の手伝いは、なんとなくすることができるので、それをこなしながら、気持ちと体の回復を待つ。

 そんな日が続くと、自分の中から焦りが出てくる。もやもやが出てくる。それを「手放す」と楽になる。こういうときもあるさ。「今ここでバリバリ描いていたらどんなにすごい活動に繋がるのだろう」なんて思いも「手放す」。

 描けない時は、描かなくていい時なんだと思ってゆっくり過ごそう。

 

絵を描くことで得られること

 

自分の世界を作れる

 「自分の世界」が絵の中に表れる。それは、絵を描きたいと思っている人にとっては気持ちがいいことで、その時の自分の心の状態精神の状態が描かれる。描き終わった瞬間と、その後時間をおいて何度も見る時とでは、自分の絵が違って見える。その時の心の状態に寄り添って自分を見直すこともできる。自分の心の世界が色や形として現れるのは、自分自身を知る上でとても貴重なことだと思う。

 

人に楽しみや気づきを与えることができる

 今までの、私の個展に来てくれた人の4分の1は、特にいつも絵を見に行く習慣がない人で、たまたま通りかかったのでなんとなく入ってきた人。個展のはがきを見て、絵が気になったから寄った人。昔の友達、昔の知り合い、そのまた知り合いで、絵でも見に行こうと思い立って見に来てくれた人でした。または、時々絵を見に行くことがあって興味はある。新聞に出ていたから見に来たという人です。そういう人たちにもぜひ見てほしいと思うようになったのは、反応や感想がとても新鮮で、私がその方々と話すのがうれしいし素直に感動させられるからです。

 そのような方々は、その後個展の案内を出させてもらうと、再び来てくれるのです。楽しみにしてくださっているのが、本当にうれしい。ありがたいです。

 

 絵を見て感想や気づきを話してくれるので、私も自分の絵に込めた思いを話します。そうすると、自分では気づかなかった新しい視点をもらえるのです。

 

 作品を購入してくれる方は、それぞれ、自分の家に飾ろうと思った気持ちを伝えてくれます。それが、何よりうれしい。その後、その方とお話をする機会があると、飾った後の様子や思いも聞くことができるのです。

 

 自分の絵で、人に楽しみを与えられていること、実際に自分の家に飾って、よかったと話してくれること。それらが、絵を描くことで得られる大きな喜びであると言えます。

 

自分の生活が変わる。自分の生活の中に「感謝」が感じられるようになる。

 絵を描くことに限らず、「自分がやってみたいこと」を実際に続けていくことで、自分の生活そのものは変わっていきます。絵を描かずに過ごしていた時の自分と、絵を描くことを生活の中に取り入れて、自分の場合はそれが生活の中心だと意識するようになった自分では、同じようなことが起こっても気持ちの持ちようが変わっています。

 体調を崩して寝込んでしまった時、そういう時に家族の用事が入ってい動かざるを得ない時、以前ならば、自分がきついことを前面に出していたと思います。そして、「これをしないといけない。」「これができない。」と愚痴を言っていたでしょう。確かに体がきついことも、休みたいことも同じですが、動ける範囲で機嫌よく動き、休めるタイミングで休むことを選択して、結局はいい塩梅で時間を過ごすことができます。それは、日頃から「絵を描く自分の生活」を自分で選択できているからで、自分の一日の過ごし方を自己責任で決めているからです。それができることが、ありえないくらいにありがたいことであり、絵を描いて過ごす時間をとることができることに「感謝」できているからなのでしょう。

 

 何より、自分をごまかすことをやめています。本当に長い間自分をごまかしていたなあと思います。

 「本当はこんな自分でいたい」と言う姿と「周りの人に見せたい自分の姿」が就職してからずっと乖離していたなあと思うのです。いろいろ手放すことになって、本当はやりたかった「絵を描くこと」が自分の生活の中に戻ってきたことがきっかけで、一つ一つしがみついていたものや、必要だと思っていたものを手放していけるようになり、自分がどんどんシンプルになってきました。たくさんの「ねばならない」から抜け出せるようになり、同じ現象でも全くとらえ方が変わってきたのです。

 今でも、時々「ねばならない」と思っている自分を発見すると、「本当に?」と問います。すぐに、そうではないことに気づきます。「やりたいからやってる。」という事になれば、そうできることに感謝が生まれます。「別に今しなくてもよい。ねばならないことは一つもない。」と思えば、とても気持ちがすっきりします。

私にとっては、「絵を描く生活」が、自分の考え方やとらえ方を大きく変えているのです。

 

絵を描き続けることの意味

 土用が明けたとたんに、体調を崩している。そういう時には、自分が健康であることを当たり前に思っていることに氣づかされる。健康に過ごせることは、当たり前ではなく、とても有難いことであると氣づかされるのだ。

 絵を描くという事は自分にとって生活の一部、と言うより生活の中心だ。

 その事ですら、体長を崩すことでできなくなる。今の当り前がどんなに恵まれている自由な生活なのかがわかる。

 絵を描ける生活が、「自分が選んだ、自分の仕事だ」と思えることも、実はあり得ないくらい有難いことなんだと氣づくのだ。

 自分はすぐ感謝を忘れてしまう。いつも思い出しては、感謝する生活で、本当に日々常に感謝しながら、100%幸せの中で生きていられたら最高だと思っている。自分の体がきついと心を閉じてしまうし、笑顔も忘れてしまう。

 でも、そんな時に、助けてくれる人たちはみんな、私が絵を描くことを応援してくれている人たちなのだ。それも、特に助けようと思っているわけではなく、丁度よく声をかけてくれたり、差し入れてくれたり、頼ってくれたりする。

 そんな人たちのおかげで、徐々に「絵を描こう」という元氣が出てくる。じわっと溢れてくる「感謝」に心も体も緩んで広がって、イメージが湧いてくる。

 キャンバスに向かって色を付けていくのは楽しい。ある程度までいくとしばらく離れて眺める。

 描いている時間より眺めて考えている時間のほうが長いけれど、それも必要な時間。その繰り返しで日々が流れていき、作品が出来ていく。日々の時間の中で「自分の命を一番使っているもの」を明確にしてみて、それが「自分の望むこと」に使っているならば、幸せな生き方だろう。自分が絵を描き続けることの意味はまず、そこにある。

 

 今日、どんなことに時間を使っていましたか?毎日振り返って一日を終えよう。

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