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「ほめる」ということ

「ほめる」

 ずっと引っかかっていたことがある。以前、初めて「メンター」に学びに行った。

高速を車で約3時間。最初は、占い師さんに話を聞くくらいのノリだった。

 

ほめない自分

 

 でも結局、約8か月ほど、度々お金を払って、「自分を変えたい」セッションを受けに行くことになる。

 

 全く知識がない。ふわふわスピリチュアルをネットで聞きかじった、占いボケの自分だった。

 

 ???が多い中、知ってるつもり、分かったつもり、でも実感湧かずに、真剣なつもり。

 

 そんな中でも、メンターは、私の小さな気付きや努力をほめてくれた。

 

 認められてうれしかった。

 

 でも、思うように自分の変化が出ない。今思えば、最初から、同じグループの人たちとは、思いの深さ、学習している本気度が違うので、周りも、メンターも、私の目線で言うと「よくわからないところで冷たくズレていった。」

 

 ズレた空間の中で、メンターに言われた。「あなたは、全く人をほめない。」ずっと引っかかる言葉。

 

 そして、この人のことをどう思う?と言われたので、少し冷たく辛口で答えると、「あなたが今口にした言葉は、あなた自身のことを言っているのよ。」

 

 全くその通りだと気づいたけど、心の中で一瞬舌打ちした。

 

 結局、通う時間も、お金も、労力も、重ねていくうちに「なんだか違う」と思いはじめたので、そこに行くのはやめた。

でも、その後、当時「なりたかった自分」に今も形を変えながら近づいてきているので、その頃に教わった言葉が、段々わかってきた。

 

 

タイミングが早すぎたため、自分に合っていなかっただけで、あの時通ったのは必要なことだった、感謝している。

 

 

 

 

ほめるという事

 

 

「あなたは、ほめない」

 確かにほめる言葉を発しなかった。なぜだろう。目では、ほめられる様子は見えていた。

 

自分が「ほめたくなる」時

・相手に対して、例えば自分が指導、助言、育てる立場で、「こうあったらいいな」「こんなことができるようになったらいいな」と思っていること、またはそれ以上の状態を見た、感じた場合。

 

・信頼している人、仲間、家族で同等、年下だと感じている人とのやり取りの中で、思いもよらないうれしいことがあった時、感謝とともに、ほめたくなる。

 

そう考えると、私の中で見えてくるのは、その時の自分の内面だ。

 

お互いに信頼して、ほめあう仲間のはずだった。自分もそのつもりで、そこにいた。でも、できなかった。

でも、それでいい。違和感を感じて「ほめる」ことより、できない自分に寄り添う方がいい。

 

「ほめる」ということで、自分の内面をよく考えるきっかけができたことに感謝をして。

 

 

 

1年以上が過ぎ、今ここにあることが有難く感じられるという事は、すべてが上手くいっているという事だ。

 

「ほめる」ということから、大事な気付きが得られた。振り返って思い出したのは、きっと自分の中にまだもやもやが残っていたからだろう。毎瞬、必要のないことは一つもない。感謝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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